辺見庸『もの食う人びと』 感想文

 初めてこの本を見たのは確か2ヶ月くらい前だったか。隣のクラスの下駄箱にそのクラスの担任の先生が置いていたこの本をなんの気無しにパラパラとめくってみたら,残飯を受け取る筆者と,彼や彼を撮るカメラを不思議そうに見つめるバングラデシュの人たちの写真が目に入ってきた。衝撃である。残飯がこんもりと盛られた大皿から小皿に入れてもらい,受け取るところを写したであろうその写真は,その後も僕の頭の中にくっきりと焼き付いていてなかなか離れなかった。この写真の何が僕に衝撃を与えたのかを確かめなくてはならない,そう思うようになった。
 そうしてこの本を読んで当面の目標は達成したように思えたのだけど,読み終わった今,僕はこの本について何かしら書かなくてはならない,書くべきことがあると,そう感じている。読まなくてはならないと感じて読んだら,次は書かなくてはだ。まったく忙しいものである。
 よって以下は生まれてから一度も食べ物に困ったことがない高校生が,飢餓など世界中の「食う」ことに関して書いた本を読んだ感想である。特に大したことは書いていないけど。


 そもそも僕は「食う」という言葉が嫌いだ。他人にを強制するつもりはさらさらないが,自分では「飯を食う」という表現は「ご飯を食べる」に言い換えるように心がけている。理由は,自分でも分かっていなかった。なんとなく汚い感じがしていたからだ。それがこの本を読んで,ようやくその答えが見つかった(ような気がした)。
 「食う」という言葉は,僕が今まで思っていたように汚いことではなかった。「食う」という言葉は,人の命や文化をつなぐ行為を指し示す言葉であった。
 この本に出てくる人たちは皆,「食う」ことに真摯に向き合っている。それが環境のなせる業なのか,民族特有の空気なのかは分からないが,彼らのようにその日その日の「食う」行為に真剣に向き合う光景は日本ではまずお目にかかれない。
 思うに,日本に住んでいる限り,「食う」という行為を感じたり行うことはほぼ不可能なのではないか。筆者の言う飽食の国では「食う」ではなく「食べる」ことしかできない。だから僕は「食う」という言葉が嫌いなのかもしれない。ファミレスや家で友人や家族とご飯を「食べる」行為はどう頑張っても「食う」という行為に行為にはなりえないのだから,僕は「食う」という言葉を避けてきたのだろう。意識するとせざるとに関わらず。


 食える世の中は平和だ。人々は争うことで自らが食うことを困難にしている。筆者も,「果てしない殺しあいより,食う楽しみを取り戻すほうがいいと,胃袋で理解できはしないか」と書いている。"Love&Eat"とでも言ったところか。結構なことじゃあないか。それが実現可能か否かは別として。
 でも確かに,食うことで分かり合える可能性がないわけではない。食べ物の大切さは,「何処どこでは食べれない人がいて〜」みたいな語られ方ではなく,それがなせることを持って語られるようになって欲しいと思った。


 筆者はミクロな視点から自分が訪れた地域の「食う」ことについて書いている。「〜では全体的に食料が足りず云々…」みたいなことは口が裂けても言わない。この状況についてどうするべきか,なんてことも書かない。あくまで自分がその土地で出会った人々の「食う」ことに寄り添い,なにをどう食いそれについてどう考えているのかを,時々筆者がそれについて思ったことを交えて淡々と綴っているだけである。ゆえに,そこには決して押し付けがましくない「現実」が存在しているだけだ。その現実をどう受け止めるかは読んだ人次第だ。
 ただ,僕は今のこの現実が,人々が皆「食べる」ことができるとまでは行かなくても,世の中で行われている「食う」ことについて理解することができる現実になって欲しいなと思った。そのためになにをすればいいかは未だに分かっていない。だから僕はこのブログを今書いているのかもしれない。一人でも多くの人が,世界中の「食う」ということについて考え,理解しようと思えるように,その手助けになればと思い書いているのかもしれない。


最後にこの本の中でも印象に残った話を,各章から一つずつ。

1章 残飯を食らう

バングラデシュにて,筆者が旅で最初の飯を食おうと思ったらなんとそれは残飯であったという,僕が一番最初に見て衝撃を受けた写真の話。
読んでる時も衝撃を受けていたが,読み進めているとこれと同等かまたはそれ以上の話でこの本は溢れていた。飯にありつける者と,そうでない者の差がこの国ではあまりにハッキリとしすぎている。

2章 菩提樹の香る村

民族同士の争いによって,仲の良かった者同士が敵になる。殺しあう。食えなくなる。菩提樹の香りがキツいほどする,廃墟のような村で筆者が見た戦争と食。
筆者が出会ったのは,戦争のため廃墟のようになった村でものを一人食うおばあさんただ一人。

3章 チェロ弾きの少女

この章の話の衝撃の度合いなら「兵士はなぜ死んだのか」と「禁断の森」が群を抜いている。
しかし,この話が僕の目を引いたのは「オウム真理教」や「ショウコウ・アサハラ」という言葉がでてきたところだろう。まさかこんなところでこの言葉を目にするとは思ってもみなかったのでとても驚いた。
話自体は母子の食について,それも身勝手な母親に振り回される子の話である。

4章

この章の話についてとやかく言うことは僕の本望ではない,という風に書いて逃げることが良いことなのかは分からない。が,この章に書かれていることは今も議論がなされていることであって,そのことについて書くのはあまりにリスクが大きすぎるように思える。正直言って,筆者に反感を覚えるところもあった。故に,印象に残った話を述べるのも避けておきたいと思う。


 正直言って,20年以上も前に書かれたこの本に載っている話が今の世の中でそっくりそのまま通用するとは思わない。この本にでてくる人たちだって死んでしまっている人が大半だろうし,書かれている戦争や紛争などの問題も解決してしまっているかもしれない。それによって食のあり方も変わっただろう。
 でも,考えてみれば「食う」ことなんてそんなものなのかもしれない。その時々の社会情勢に振り回され,そして人々を振り回す。僕はそんなところに「食う」という行為の大切さや儚さを感じることができた。